ハワイ留学で学んだ、重度の障害者が海外で暮らすために必要なこと

Interviewer Yuki
デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病の大西さん。“世界中の人と繋がりたい”という夢を叶えるため、18歳でハワイ留学。現地の語学学校に通ったあと、州立ハワイ大学カピオラニコミュニティカレッジで2年間学び、教養学の学位を取得し帰国。現在は、独学で学んだウェブ制作のスキルを生かしウェブデザイナーとして活躍するかたわら、海外留学支援事業を行なっています。障害者が海外に行くことは、決して楽なことではないと身をもって体験した一方で、もっと多くの障害者に海外で視野を広げる経験をしてほしいと願っています。障害者が海外生活で必要な心構えや大切なことを伺いました。(2020年10月30日取材)

-【Yuki】初めまして。本日はよろしくお願いいたします。まず、大西さんの障害について教えていただけますか?

-【大西さん】はい。私は小学校一年生のときに筋ジストロフィーと診断されました。その中でも僕は1番重いタイプと言われているデュシェンヌ型です。進行度合いは大体決まっていて、3歳頃に発症し、10歳頃には歩けなくなる。そして中学生頃に自分で寝返りを打てなくなり、20歳前後で呼吸器官に症状が出始め、自発呼吸ができなくなると言われています。

少し前だと気管切開をして、人工呼吸器をつける方が多くいましたが、医療が進歩してきた近年では直接マスクをつけて、気管切開をしないタイプの人工呼吸器があるんです。それに伴い少しずつ寿命が伸びてきていて、今では3〜40代でも生きている人もいます。でも私も昔は20歳くらいで死ぬと思っていたので、これからどうしようとたくさん悩みました。

-その当時、体はどのような状態だったんでしょうか?

-その時はまだ自力で自発呼吸をしていました。呼吸器をつけ始めたのは日本に帰国したあと、25歳くらいのときです。少しずつ病気が進行し、今では常に呼吸器をつけている状況です。ただ、呼吸器をはずしても頑張れば10分ぐらいだったら何とか自発呼吸も大丈夫なんです。

-大西さんはヨーロッパに何度も旅行されているそうですが、日本からヨーロッパまでは半日近く飛行機に乗る必要があると思います。気圧の関係で大変なこともあるかと思いますが、その点はどうされているんですか?

-そうですね。長時間飛行機に乗っていると、やっぱり気圧の関係で苦しくなる可能性があります。なので、数年前から航空会社から酸素を借りています。お医者さんに一筆書いてもらい、航空会社にある障害者向けのカウンターにお願いするんです。お金はもちろん払いますけどね。それを使ってより低い気圧にも耐えられる状態にしています。飛行機の中では航空会社から借りた酸素ボンベのようなものと呼吸器を繋ぎ、座席の下に置いて使っています。

航空会社によっては、かなり重度の障害者に対してもとことんサポートを考えてくれるんです。私も呼吸器をつけ始めた頃からいろんな会社に相談してきました。例えば自分が使っている呼吸器やバッテリーを乗せても大丈夫かとか。これまで海外の飛行機を利用して旅行しようとしたこともあったので、海外の会社に直接連絡をとって交渉したこともありました。旅行が好きなので、自分でできることはなんでもします!

あとは、空港からホテルまでの移動時間なども全部あらかじめ調べて、空港までタクシーで迎えに来てもらうようにしたりとか。ただ、飛行機に乗ることに関しては自己責任も伴いますし、楽なことではないので、国内旅行のときはJRを使うこともよくあります。

旅行するためには大変なこともありますが、行けないことはないんです。頑張れば夢は広がると思っています!今はコロナウィルスが流行っているので行けないですが、この状況が落ち着いたら、また大好きなヨーロッパに行きたいですね。

初めての留学生活

-【Yuki】留学しようと思ったきっかけはありますか?

-【大西さん】もともと人と会話をすることが好きだったんです。もし英語を話せるようになれば世界中の人と話せて、たくさんの出会いもあるし、世界のいろんなことを知ることができるんじゃないかと思って。だから外国の方と繋がれるようになりたいなという単純な思いから英語を勉強したいと思いました。

-留学先にハワイを選んだ理由は?

-私の障害がわかったとき、両親は私が20歳までしか生きられないということを知り、さらに私の弟も同じ障害があることがわかりました。親としては好きなことをやらせてあげたいという希望があったみたいで。あと、体は重度の障害がありますが、楽しく生きられたらいいよねっていうところがあって。それで両親の新婚旅行先だったハワイに、小学生の頃から何度か連れて行ってくれたんです。そういったこともあり、ハワイが好きだったので留学先としても自然と選んでいました。

 高校1年生のときに英語を勉強したいと親に話したら、じゃあ留学したらいいんじゃない?と言ってくれて。経済的に大変だけどお金の面は頑張ってなんとかするから、準備は自分で全部してね!って言われたんです。

悪く言えば放任主義だし、自由にさせてくれたというか。それでハワイに行くための準備はほとんど自分で調べました。今思うと、旅行でハワイを訪れたことあったものの、現地に詳しいわけではなかったので、ほんとに行き当たりばったりでした。

そんなとき、たまたま難病の子どもたちの夢を応援する非営利のボランティア団体、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンがテレビか何かで宣伝しているのを見て、母親が電話して私のハワイ留学について相談してくれて。そしたら、留学のための下見をサポートしていただけることになったんです!

メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンは、下見のときにスタッフが現地まで一緒に来てくれたり、他にも留学するときに支援していただける機関と連絡をとってくれたりしました。例えばハワイの自立支援センター(以下、CIL)や、筋ジストロフィー協会などを紹介してくださったり、ハワイ大学やハワイパシフィック大学に行ってみたり。現地で生活するためのアドバイスをたくさん得ることができました。

その後、実際にどんな大学に留学できそうかとか、住む場所はどうするかとか、そういったところを具体的に探し始めました。

ヘルパーと住まい探し

-【Yuki】留学には介助者の方を連れて行かれたのでしょうか?

-【大西さん】そうですね。誰かいないと生活できなかったので、日本から介助者を1人連れて行きました。ただそのときは、私の生活介助の全てを両親がずっとやってくれていて。母親や私自身も、当時は他人を家に入れるのはあまり好きではなかったので、ヘルパーさんを入れたり行政サービスを使ったことがなかったんです。学校も高校まで普通学校に通っていたのですが、学校生活の中でも、例えばトイレに行きたいときは、先生や友達にお願いして介助を手伝ってもらっていました。だけど両親が一緒にハワイに行けるわけではないので、他人にヘルプされることになれないと留学はできないとも思い始めたんです。

 そんなときに、新聞でハワイに留学した筋ジスの女性の記事を見つけたんです。彼女に留学経験の話を聞きたくて、すぐに会いに来ました。そしたら彼女も、留学するのであれば、他人にヘルプをしてもらうことを覚えないとダメだよって教えてくれて。その他にも留学するうえで大事なことを一から教えていただきました。

 その後、私の住む地元のCILを紹介してもらい、初めてヘルパーさんに介助を頼むように。介助をしてもらう中で、高校を卒業したら留学したいと思っているということをヘルパーさんに話をしたら、その人も実は若い頃に留学をしてみたかったと話してくれて。そこで私から、一緒に留学しませんかってお願いしたら一緒に行ってくれることになったんです!

 ただし、ヘルパーさんとして一緒に来てもらっても普通のパスポートだとビザの関係で3ヶ月しかいられないので、1年間の約束で一緒に留学してもらえるこになりました。条件は、往復の航空券と現地に住むためのシェアハウスの家賃、外食費以外の食費を私のうちから出すということ。だからある意味では有償ヘルパーになるのかもしれません。

-そのヘルパーさんは、普段は留学生として勉強して、それ以外の時間は介助を手伝ってくれたということでしょうか?

-そこまで厳密に時間を決めていたわけではなくて。例えば自分が友達と遊ぶときはもちろんヘルパーとしてはつかないし、手伝ってほしいときだけ介助に入ってもらったりしていました。夜になると1人で寝返りを打てないので、夜は泊まりで入ってもらうなどしてもらっていました。

-1年後、ヘルパーさんが帰国された後はどうされたのでしょうか?

-彼が帰国したあとは、現地でヘルパーさんの募集をしました。同じ条件で、家賃や食費はうちが払うから、生活介助をしてほしいというかたちです。同時にシェアハウスのハウスメイト達にも色々と助けてもらうことも多かったです。

大学構内はもちろん、ホノルル市内のいたるところにある掲示板に、ヘルパー募集のチラシを貼ってもらうため、自分で交渉したり、学校の留学生をサポートしているオフィスの方とも仲が良かったので、学生に募集の一斉メールを送らせてもらうことも!それで連絡をくれた人に面接して、合格した方に介助をお願いしました。

-住まいはどのように探したのでしょうか?

-最初は全然見つからなくて。日本だったら不動産が賃貸の家を紹介してくれますが、アメリカの不動産は賃貸を紹介してくれることが少ないんです。だからよく新聞の1番最後のページにオーナーさんが自分で賃貸の広告を出しているんですけど、それを見て、自分でオーナーさんに電話しました。でも渡米しばかりだったので英語はわからないし、部屋を見せてもらってもそもそもバリアフリーになっていないところばかりで条件が全然合わなくて。大変でしたね(汗)だけど諦めずに続けていたら、最後の最後にやっと見つかったんです。

そのシェアハウスもシャワールームに段差があったんですけど、オーナーさんがバリアフリーに改装していいよって言ってくれたので、大工を呼んで改装しました。そのオーナーさんは日系のおばあちゃんで日本人が好きだったのと、たまたまその息子さんにも障害があったということもあり、僕の障害にも理解があってとても良くしていただきました。

シェアハウスでの暮らし

-【大西さん】そこは大きな敷地の中に三棟の家があり、二階建てが二棟ありました。一棟は平屋で、ワンフロア4人で住める大きめのシェアハウスでした。二階建てのうち、一棟の二階部分にオーナーさんが住んでいたので、全員で16人のハウスメイトがいる感じです。オーナーさんがいる建物の一階部分のフロアに、私を介助してくれる人と、その他私を含めて4人のハウスメイトで1つの部屋をシェアしていました。ハウスメイトは日本人だけでなく現地の人もいて、そこに3年間住んでいたのですが、何度か人の入れ替わりもあり、楽しかったですね!

ヘルパーさん以外のハウスメイトもいろいろ私の介助を手伝ってくれました。ものを取れない時は、それ取ってほしいとか、ご飯を食べているときに口に入れてほしいとか、友達みたいな感じで気軽にお願いして手伝ってもらっていました。ヘルパーさんがいるときは基本的にはその人が全部やってくれるんですけど、それ以外のときは、友達と一緒にワイワイやるようなかんじです。ヘルパーさんだからこうとか、細かく決めたり線引きはしていませんでしたね。そもそも私があまりそういうのが好きじゃないんです。

ヘルパーの資格を思ってないからこれができないとかではないし、逆に資格を持ってるから何でもできるわけでもないと思うんです。だから私の場合は、ヘルパーさんだから、ルームメイトだからと分けることなく考えていました。

-【Yuki】大西さんの場合は、これまで色々な場面でご自身のコミュニケーションで乗り越えてこられてきたんですね。

-そうですね。ちゃんとできていたかどうかは別として、仲がいい人には助けて、手伝ってみたいに気軽にお願いしていたところはありますね。

現地での健康管理と学生生活

-【Yuki】留学中の健康管理はどうされていましたか?お医者さんと定期的な面談などはされていましたか?

-【大西さん】当時、私は病院じたいにちゃんと行っていなかったんです。まだ薬も飲んでいませんでした。ちゃんと通い始めたのは帰国してからなので、頭痛薬などの常備薬を持参して、あとは極力現地の生物は食べないようにしたりしていました。

 -大西さんは障害者の海外留学支援事業を運営されていますが、そこに相談をしに来た障害がある方が、もし定期的な診察を受ける必要があったり、薬の服用が必要だとしたら、どのようにアドバイスされていますか?

-そうですね。まずはもちろん医療保険には入らなければいけないですよね。その中でカバーできる診察や治療と、できないものもあるとは思いますが、現地できちんと診察を受けられる病院を探すことも提案します。どのような障害かにもよりますが、私の場合はハワイの筋ジストロフィー協会を紹介してもらったように、そういったところと繋がりを持っていれば現地で助けてもらえたりすることもあるんです。アメリカは、NPOやそういった協会に力があるので。その他にも、現地の方と協力し、私もできる限りのサポートをさせていただきます!

-既に留学経験がある大西さんにサポートしていただけるのは心強いですね!ハワイでの学校生活はどうでしたか?日本との違いは感じましたか?

-学校生活は楽しかったです!日本との違いでよく言われるのは、授業に出席するのは当たり前、授業にちゃんと参加しないとだめだよということ。日本だと授業に出席すれば単位が取れるなんてこともありますが、アメリカではそれはないんです。授業に出席するだけだと0点。授業に参加することで、どんどん点数が上がっていく感じです。だから積極的に授業で発言しないといけないし、グループワークでも自分の意見を主張しないといけない。受け身じゃなくてとにかく自分からどんどんやっていくというのがアメリカの教育です。

あと、アメリカ人だろうが外国人だろうが、勉強したい人にはとことん学ばせてくれる。勉強できる環境を常に与えてくれるんです。日本の優秀な学者さんがアメリカに出てしまう理由は、そこにあるのではないかと思います。僕も向こうで返済不要の奨学金をもらっていたんですけど、外国から来た留学生にそういったお金を出すって、何のためなのかなと思っていましたが、アメリカにとっては、そういう人に教育を受けさせることで、将来アメリカに還元されるだろうという考えがあるみたいで。そういう点では教育に対する考え方は、アメリカは進んでいるなと思います。ちなみに、授業は全てノートテイカー制度を利用していました。大学の学生が私の代わりにノートを取ってくれるんです。

-住みやすさはどうでしたか?

-住みやすさで言うと、アメリカは移民の方も多いので異文化に対して差別も少ないですしいろんな方に対して優しい考え方の人が多いと感じました。私はそういうところは好きです。ただ日本とアメリカを比べたときに、日本も決して制度が整っていないわけではないので、日本の住みやすさを感じることもあります。だから一概にどちらがいいとは言えないですね。

海外へ行くときに壁となるもの

-【大西さん】日頃介助が必要な人にとって、海外に行くときの問題は介助者だと思っています。留学相談を受ける中でも、海外でヘルパーさんはどうしたらいいですか?といった質問を受けますし、その問題を解決するのは簡単ではないと感じています。 

実際、私自身もあと数ヶ月で卒業できるというときに、ヘルパー探しに難航してしまい、もう帰国しようかなと思うこともありました。でもその当時住んでいたシェアハウスの仲間がすごくいい人たちで。修平を卒業させよう!と言って、大学の仲のいい友達も5、6人集めてみんなでローテーションを組んで、毎日朝も夜も友人たちがぐるぐる介助を手伝ってくれて。そのおかげで残りの学期を何とか終え、無事に卒業することができたんです。そしてコミュニティカレッジを卒業したところで1つ区切りをつけ、日本に帰国しました。

本当は、その後も編入できる実力はあり、大学を卒業するときに現地でフルに働ける許可証のようなものを取得していました。だけどやっぱり生活をしていくためのヘルパーさんをどうするかが大変で。それで現地で働くことなく、帰国しました。

私自身もその苦い経験があったからこそ、留学に行きたいという障害がある方がいたら、そこは何とか解決できるようにサポートしていきたいと思っています。

自分のことを主張する

-【Yuki】障害がある方が留学するために、何か準備しておいた方がいいことはありますか?

-【大西さん】準備とはまた異なりますが、自分の障害についてアドボケイト(主張)していくのが大事だと思っています。こういう障害であるということをきちんと伝えて、周りの人とどうしていくか、というところもきちんと考えながら生活していくのがとても大事です。日本にいるとどうしたらいいのか周りが教えてくれますし、周りが支えてくれる場面がたくさんあると思うのですが、外国にいるときちんと自分のことを主張し、自分がどういう人か含めて周りに言っていかなければいけない状況が多いです。そうしないと取り残されてしまう。障害が重度であればあるほど周りの助けが必要ですので尚更かもしれません。

アメリカ社会の特徴でもありますが、常に自分の行動に責任が伴います。例えばハワイで私がトイレに行きたくても、自分から助けを求めないと誰も助けてくれないんです。もちろん誰も私の障害のことを知らないからというのもありますが。極端な話、そこで周りに何も言えずに漏らしてしまっても、誰も気にしてくれないんです。日本だったら助けて来てくれる人もいるかもしれません。だけどアメリカ人からすれば、好きでアメリカに来ているんだったら障害があろうがなかろうが、自分でそれをどう乗り越えていくか自分で考えなさいと言われるんです。障害者の外国人として道端で困っていても、たとえ周りに誰かいたとしてもきちんと自分を主張して自分がどういう障害があって、どういう状態か、何が必要かということをきちんと言えないと乗り越えるのは難しい主張しない先の結果がどうであろうが、自分の責任だよと言われるんです。だから、自己責任という部分をきちんと本人の中で考えなくてはいけないということを、アドバイスしたいなと思っています。

-それは日本でも必要なことかもしれないですよね。今、新型コロナウィルスが流行したことで、障害の有無に関係なくこれまで以上に生活に苦しんでいる人がたくさんいます。その状況下で政府や制度が全ての人を満足に助けることは難しい。慣れないと簡単なことではないかもしれませんが、障害がある人もできるだけ自分からこんなサポートをしてほしいと言えるようになることで、より生きやすくなるのではと思います。

-私もそう思います。私も今まさに日本で戦っていて。居宅のヘルパーさんに24時間の介助をしてもらう必要があるんですが、必要な時間数をもらえていないんです。そういった行政サービスは市区町村によって違うんですけども、行政の方に説明してもなかなか耳を傾けてもらえなくて。そんな状況下にいると、やっぱり日本でも自分のことを主張していく必要があると思っています。

自分で主張できない人もいるし、それは大西さんだからできるんでしょって言われることもあったのですが、留学する中で身につけざるを得なかったんですよね。

こんなことがありました。留学中に1人で外出したときに車いすのタイヤがパンクしてしまったことがあって。あてがないから日本のタウンページみたいな雑誌を見て車いすの修理屋に電話をするんですけど、全然英語が伝わらなくて困ったことも(汗)

また、アメリカでは万が一障害者を介助して怪我をさせてしまった場合、たとえそれが故意でなかったとしても、訴訟となったら100%障害者が勝ってしまう。そういった判例や法律があるため私が通っていた大学も州立だったので、学校側にトイレなどの身体的な介助をお願いしても、学校のサービスとしては許可できない状況でした。合理的配慮という考え方はありますが、やっぱり法律的なところで様々な制限があるのは事実です。

-それではどうやって介助をお願いしていたのでしょうか?

-実際は、そのような判例や法律はあるんですけれども、やっぱり人間同士なので大丈夫だよと言って快く介助してくれる人の方が多いんです。けれどもいろんな考え方の人がいるので、学校側としてできること、できないことのルールはきちんとラインがあります。その中でも自分はこういう障害があるとか、助けてほしいということをきちんと周りに伝えられることが、障害者にとって留学するさいに必要なことなのだと思っています。そういった面では、私は人と運に恵まれていたと思っていますし、感謝しています。

 現実的な話をたくさんしましたが、ハワイ大学としては、障害がある留学生の受け入れはいつでもウェルカムなんです。大学側は、私が留学した実績があるからというより、外国人の受け入れを積極的にやり始めていて、その中でも障害がある学生にとってももっと学びやすい環境にしたいと考えています。だから、障害者をサポートするオフィスの整備だったり試験時間の延長やノートテイカーなどのサービスも、外国人留学生がもっと使いやすくなるようにと力を入れて取り組んでいるそうです。

海外で学ぶかたちは人それぞれ

-【大西さん】自身の経験を通して、重度の障害があると長期の海外渡航はそう簡単にいかないことも多いと感じています。だからこそ誰にでも安易に長期留学を勧めることはしないんですけれども、どう打開していくかを私は考えていきたい。海外で学ぶかたちは人それぞれです。例えばまずは短期間でしたらチャレンジしやすいこともあるかもしれません!他にも語学留学、ファミリー留学など色々ありますし、学位を取りたい学士を取りたいなど、人それぞれ目的や方法は異なります。それぞれの希望に合う方法で挑戦するのがいいと思っています。

 また、私は留学支援をするとき、ここが限界だよとは言いませんが、ここが現実的だよと言うことを常にお話ししたいなと思っているんです。あまり理想は言わず、より現実的な話をもって支援したいと思っています。

-【Yuki】そうですよね。同じ病気でも進行度合いや症状は人によって違いますし、一概にここまでできるよ、と無責任なことは言えないと思います。これまでにSAWDに留学相談をされに来た方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

-そうですね。実際そこまでまだ人数は多くないのが現状です。留学に興味があってサイトを見てくださる方は多いのですが、実際に相談まで来られる方はなかなかいなくて。障害がない方からの留学相談はたくさん来ていますが、障害がある方の支援も今後さらに力を入れていきたいと思っています。

-私の個人的な見解ですが、障害の程度や症状に関係なく、海外で学んでみたいと言う方は、実際はもっといるのかなと思っていて。私もその一人でした。

-そうですね。たくさんいると思います。留学だけではなく、海外旅行に行くこともすごく大事だし素晴らしいことだと思います!行きたいと願っている人もたくさんいるのではないでしょうか。

留学中の忘れられない思い出と、今後の目標

-【大西さん】帰国するまで大変なことはたくさんありましたが、ハワイに行って本当によかったです。多感な時期をハワイで過ごせたので、今の自分を作っているのかなと思っていて。自分ではあまり変わったつもりはなかったんですけど、親からは別人になったって言われました(笑)すごくいい経験になりました!

1番楽しかった思い出は、最後の年のたった一週間しかない夏休みに、私が幹事となり、オアフ島北西部のモクレイアで1泊2日のキャンプをしたことです。そこにはシェアハウスのハウスメイトや大学の友人達、アメリカ本土からハワイに遊びにきた学生など15、6人が集まりました!友人らの車3台でモクレイアのキャンプ場に向かい、キャビンに泊まりました。みんなで食材を用意して、サウスショアでは観られない美しいビーチの目の前でBBQをしたり、ゲームをしたり、ウクレレで盛り上がったり。夜は天の川や流れ星が輝く真っ暗な海の目の前で、静かな波の音を聴きながら友人らと色々と語り合いました。貴重な一晩を心に焼き付けたかったのか、ほとんどの人が一睡もせず朝を迎え、のんびりと贅沢な時間のなか朝食を食べ、最後に私も含め全員で海に入り大騒ぎして楽しみました!それが私にとって最後に入った海で(今は呼吸器を付けてるので絶対入れないので)、最高に楽しかった思い出です。

-【Yuki】今後の目標はありますか?

-目標は、いつか今の事業を法人化できたらと思っています。ただ、私の状態もそんなに良くはないので、目標を持ちつつも楽しく生きていければいいかなとす。

ハワイにいるとき、最初はすぐにコミュニティカレッジへの入学は難しいと思い、語学学校に通っていました。そのときにハウスメイトから“語学学校行ってどうするの?君はただお金があって自分の好きなことをやってるだけ。さっさと語学学校辞めて大学とか専門学校に行きなよ。30歳までに自分のしたい事を決めないと、人生終わりだから“って言われたんです。そのときは厳しいこと言うなと思ったんですけど、妙に納得もして。それで私も語学学校を辞めて大学に入れるように勉強しました。その言葉を言われないときっといつまでも語学学校でダラダラしていたと思いますし、ある意味背中を押してくれたんです。

だから今でももっと仕事を頑張りたいですし、その中で自分の体と付き合いながら楽しくやっていきたいなと思ってます。

特に留学事業に関しては、障害の有無関係なくハワイにたくさん学生を送りたいんです。それは会社を大きくしたいとか関係なくて、単にハワイで素晴らしい経験をして欲しいなと思っているからです。その人が望むかたちの留学をたくさん支援していきたいと思っています。

-最後に、海外で学んでみたいと思っている障害がある方に向けて、一言お願いします。

海外に行く方法は、必ずしも留学でなくてもいいと思うんです。海外に旅行するだけでもいいからぜひ挑戦してみてほしいと思っています。これまでとは違う景色や見聞が広がると思いますし、テレビやネットで見ている景色とはまた違うものが見えるです。私は2回ほどニューヨークに行ったことがあるんですが、本物の自由の女神を間近で見たときに、やっぱり感動しました。一言で感動したといっても大したことないように聞こえるかもしれないですけど、その時の感動って絶対本物を見ないと感じられない気持ちだと思うんです。障害の有無は関係なく、誰にでも言えることではありますが。

 -人によって感動ポイントも違いますしね!

-そうですよね。私は誰かが旅行に行ったときは、お土産はいらないからお土産話を聞かせてほしいって言うんです。その人が旅行先で感じたことや心に残ったことを聞くのがすごく楽しみで、すごくいいなと思います。お土産は誰でもネットで買えちゃいますしね(笑)

-【Yuki】インタビューを終えて

今回のインタビューは、大西さんご自身が留学先で様々な経験をしてきたからこそ、これから留学したいと思う人には、少しでもその負担を軽くしてあげたい。みんなの挑戦したい気持ちをアシストしたい!という想いが伝わってきました。そしてアメリカ社会ならではの考え方も、ある意味では障害がある人に対して対等に見ているのだと感じました。今後、海外で学んだり旅行に行きたいと願う障害がある人が、もっと挑戦できるようになることを願っています。もし留学に興味がある方は、一度大西さんに相談してみてはいかがでしょうか!

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